昭和41年06月15日 朝の御理解



 信心はさせて貰っておかげを頂く。これは分かり切った事を分かりきった様に、つとめていく以外にない。その分かりきった事が中々よう出来ん所に、おかげが成就せんのである。もう分かり切った事をしない。こうすればおかげを頂くと、分かっておりながらそうしない。そう実行しない。そのことに忠実ではない。ね、例えば御商売をさせて頂いてもそうでございましょうが、こういう生き方になれば、商売が繁盛すると分かり切っておるけれど、中々分かり切った事をしない。
 例えていうならば、あちらの品物は間違いがない。どこよりも安い。どこよりも品が良いと。ね、もうこれで商売の繁盛がしない筈がないです。ね、いわゆる儲かりたい儲かりたいと商売には、先ずその利益をいうのは当たり前のこと。儲からなければならん。儲からなければならんから、私はこうすれば繁盛するという、道を辿らないかんのだけれど、ただ利益の事だけに走って、儲けだけの事に走って、ね、よそが十銭でいいようなものは十一銭で売りたい。ね。
 少しは高いんだけれども、仕入れの時に品物が良いから、少し位高かっても、美味しいなものを仕入れようと言わずに、やっぱり一銭でも安かつを仕入れようごたある。ね、これでは繁盛する筈がない。それでいてどうぞ繁盛のおかげを頂きますように。それでいてどうぞ儲かりますように。というてそれで本当に儲かる筈がない。よしそれが儲かった所でそれは本当のものじゃない。ね。はっきりした事なんですよ。
 商売をさせて貰うならば、教祖の神様も仰るに、売り場買い場というて元を仕込む所と。いわゆる仕入先とお客さんは大事にせなきゃならんと。人が十銭で売るなら、ね、八銭か九銭で売る。目先は損の様だけれども、それが数が売れるから、その方が却って得じゃと仰る。これは商売だけの事じゃない。ね、私はここん所の、実行が出来る人でなからなければ、いわゆる商売の繁盛はおぼつかない様に、いうなら信心の徳もおかげも、ここんところが分かったら、どうぞおかげをお願いします。
 おかげを、おかげをというだけでは、ちょうど商売人が、利益ばっかりをいっておるのと同じこと。なら分からんかというと、その一つのこれ原則なんだ。天の恵、地の利を、受けなければならんためには、どうしても神様の御神意を頂かなければおかげが受けられんと分かるように、人の信用を受けなければ、商売の繁盛はないと。ね、あの店ならもう大丈夫と。もうあの店なら子供が買いに行ってもええ。あの店なら品物がいい。あそこはどこよりも幾らか安い。と言う様な所に。
 私はお客さんの信用はその店に集まるようにです、信心も同じ事。どうぞおかげば頂かせて下さい、おかげば頂かせて下さいというのは、商売人がただ儲けさえすれば、ただ儲からにゃ、儲からにゃそれこそ同じこと。儲かりたいなら本当に儲かり、こうすれば儲かると分かっておることをです、分かったように努めていかなければならん。そうでしょうが。だからそういう意味あいにおいても信心は見やすいものじゃけども、氏子から難しくすると仰るのは、そういうところの、にもあろうと私は思う。ね。
 どこよりよい品物をどこよりもいくらか安く。しかもそれに真心のサービスをさせてもらう、とこういうこと。そこにあの店は間違いがない、あの店は堅実だ。あそこの品物は良い、あそこのいくらか安いと言う様な、そこに人の信用が集まる。もう絶対繁盛ですよ。これそう言う事になりますと。ね、それも宣伝は人がしてくれますよ。同じ買うならあそこで。ね、おかげ信心のおかげでも同じこと。分かりきったことを一つ分かりきったように努めるところに一つの元気な心、勇猛心が必要である。ね、
 こうすればおかげ頂くことは分かっとるけれども、そうしない。それはなるほどお取次ぎを頂いて願うていくから、そん時そん時が、なんとなしにおかげになっていくけども、それが本当のおかげにならない。いつも私が申しますように、岡山教会の岡山の東、岡山ですか。終戦と同時に大連から引きあげられた、松山という、非常にお徳の高い先生がおられた。ね、大連教会の長年総代をつとめておる。一家中あげて信心をする。いわゆる珍しい信心をする。
 いわゆる一生懸命信心努力をする。例えば商売をする。一生懸命努力をする。努力はむくいられるけれど、本当のおかげにはならん。やっぱその総代さんもそうだった。一生懸命お参りをする。なんとなしに、やはりおかげは受けるけれども、本当のおかげにはならん。松山先生も考えられた。あっちこそおかげを頂かない筈がない、一家をあげて信心するのに、どこにその神様のご都合があってから、おかげを受けられんのじゃろうか、と思われてある御大祭の時に、御本部参拝をされた大連から。
 そして以前三代金光様の時代ですから、金光様にお伺いをされた。ね、そしたら金光様が仰られたと言う事です。「こうすればおかげになると言う事を分かっておりながら、こうせんからおかげになりません」と仰ったそうです。鶴の一声であった。もう長年総代でも、一家中信心をさせて頂いて、金光教の信心はどうあらなければならんのか、どういう教えを、どういうふうに守っていかなければならんのかと。
 言う事は分り過ぎる位に分かっておりながらです、こうすればおかげになると分かりながら、こうせんからおかげになりませんと仰った。その事を一家に伝えられた。ね、もうそれこそ鶴の一声ですよね。もう本然として、一家がそのせいにそうて信心、御商売なら御商売、事業なら事業の上に教えをいかして、そのことを改まったこと改まり、精進するところ精進させて頂くところなら。
 ところにです。それこそもう本当に手の平を返すような、大繁盛の大みかげを頂かれてというお話がございます。お互いもそうです。椛目の信心のどんと分かっただけではつまりません。こういう流儀だということが分かっただけでは、その流儀を分かったところで、行じなければおかげに頂ける筈がありません。ね、分かりきったことを分かりきったように、努めさせて頂く。そこにいよいよ天の恵が頂けるのであり、ね、地の利を受ける事が出来るのであります。ね、
 私共が商売で例えばさせて頂いておって、どうぞいくらでも余計儲かるように、儲かるようにということだけに焦点をおいておるようなことないでしょうか。こうすれば儲かるんだとゆう元のところを一つ大事にさせてもらって、ね、人の信用を受けさせて頂くための商売をなさねばならんように、こうすれば神様の御信用が頂くことができるんだと、いうことを私本当に、日常生活に現せていってこそ、ご神徳もおかげも受けられる。分かりきったことを分かりきったように努めさせて頂かななりません。
   どうぞ。